はじめに
2015年1月(平成27)、つまり昨年の1月、67歳になった私は「77歳喜寿までの10年間を黄金の10年」と定めました。そして、まず最初の一年間(2015年)を通して、「薬」、「本」、そして「山」という三つの柱を活動の中心に据えることができました。そうした中で、私はエストリビューター(総合電子出版代理人)になる決心をしました。
そこで、2016年(平成28)の年頭にあたって、このWebサイト「エストリビューターへの道」を立ち上げることにしました。(現在は、「団塊の世代一代記に統合」)
ところで今回、このサイトはWordPressで新規に作成してみることにしました。
今までは、私のWebサイト「Akimasa Net」作成には、北摂情報学研究所のQHM(クイック・ホームページ・メーカー)を使用していました。ところが開発元の北摂情報学研究所が、QHMのサポート業務等を他社に譲渡することになったのです。
QHMはいち早くレスポンシブ対応するなど、ほんとうに使い勝手が良くて重宝しています。それが今後は、IT技術革新に対応したバージョンアップがされるのかどうか不透明な状況です。
そこで、以前から気になっていたWordPressに注目しました。WordPressは、CMS(Contents Management System)としては事実上の世界標準と言えるでしょう。今後10年単位で安心して使えると判断しました。
今回は、WordPressのディフォルトテンプレートの一つであるtwenty sixteen(2016)というテーマを採用して、「Akimasa Net」のサブドメインとして作り始めました。(後日2016/01/07、Xeory Base テーマに変更、その後さらに変更)
WordPressについてはほとんど何も知らないので、まずはベタ打ちのトップページのみ作ってみました。少しずつ見出しなどを追加して体裁を整えていくつもりです。
エストリビューター(総合電子出版代理人)になろう
私は昨年(2015年)、エストリビューターのプロになる決心をしました。
実は、2015年春~夏にかけて、私は電子書籍をアマゾンで数冊出版しました。全て自分で作りました。
しかしながら、表紙(カバー)をWindows付属のペイントで自作しているため、なんともビジュアル的に面白くないのです。そこで、改訂版を出すことにしました。これらの電子ブックをプロとして作り直した上で、表紙(カバー)はプロのデザイナーさんにお願いするつもりです。
さて昨年12月(2015年)、日本で初めてのエストリビューター・ビジネスに関する本が出版されました。私はそれにアマゾンレビューを書きました。
細田 朋希(著)『電子出版のプロデューサーになろう エストリビューターとして活躍する方法』インプレスR&D(2015/12/18)
—–以下、私のアマゾンレビュー(2015/12/18)です。出版当日にすぐ書きました。
著者は、「エストリビューター」(総合電子出版代理人)こそ、今最も注目すべき有望な職種であると主張している。そして、エストリビューター・ビジネスとは、「電子出版を行いたい著者(企業)に対して、出版支援をして、その対価を頂くビジネス」と定義している。
エストリビューターとして活躍が期待されるのは「個人」である。ここで個人とは、ビジネスパーソンのみならず主婦や学生まで幅広い。
電子書籍は、アマゾン Kindle ダイレクト・パブリッシングなどの登場によって、年齢や性別あるいは学歴等には何ら関係なく、個人が自らの手で自己の作品を簡単に発表することができるツールとなった。まさにグーテンベルク以来560年ぶりの出版革命である。
「個」の時代が始まったのである。
そうした時代の大転換点において、個人として電子書籍「文化」をお客様(著者)とともに誠実に創り上げていく作業は、ワクワクするような楽しい作業となるであろう。そしてそれが利益をもたらし、自分自身のブランディングにもつながるのであれば、言うことはない。
著者は、電子書籍=スマートフォン向けデジタルコンテンツビジネスと定義づけている。著者の言うように、「今、ネット上にあるすべてのメディアは、広義の意味で「デジタルパブリッシング」」である。
インターネット上のあらゆるものが出版につながっている。多くの人々にとって、電子出版の本質を理解することは、今後必要不可欠の素養となるであろう。
本書は、エストリビュータービジネスに関して書かれた日本初の書籍である。本書では、エストリビュータービジネスとはどのようなビジネスモデルなのか、どのようなメリットがあるのか、さらには具体的な方法論の一端を示している。
本気で「成功する!」と決断する勇気が湧いてくる一冊である。
—–以上、私のアマゾンレビュー(2015/12/18)です。
自費出版 『細見谷渓畔林と十方山林道』
私は、2007年10月25日(平成19)、満60歳を目前にして書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』を自費出版しました。ここで渓畔林(けいはんりん)とは、河川周辺の森林のうち、上流の狭い谷底や斜面にあるものを言います。(EICネット:環境用語集より)
西中国山地の細見谷(ほそみだに、広島県廿日市市吉和)にある渓畔林は、温帯落葉広葉樹林を主体に成り立っており、ツキノワグマ棲息域として重要な位置を占めています。その渓畔林を貫いて、「未舗装」の十方山林道(じっぽうさんりんどう、細見谷林道)が既に建設済みです。
私は同書の中で、自然保護の立場から「既存の十方山林道(細見谷林道)を拡幅「舗装化」して大規模林道(後の緑資源幹線林道)に組み込む」という国の施策に反対しました。
紆余曲折を経て、広島県が「細見谷林道」工事を断念(2012年1月19日)したため、細見谷渓畔林は現況のまま残されることになりました。
昨年(2015年)12月、NHK総合テレビで細見谷が紹介されました。私は最近では、一人で西中国山地に入る機会は全くなくなってしまっていました。豊かな自然がそのまま残っているのをテレビで確認できて感激しました。
2015年12月6日(日)7:45~7:59
NHK総合テレビ
さわやか自然百景「西中国山地 細見谷」
www.nhk.or.jp/sawayaka/contents/program/2015/12/2015_1206_hosomi.html
『細見谷渓畔林と十方山林道』は、出版直後に出版社が倒産したため、正規のルートで流通させる手立てがなくなってしまいました。しかし幸いなことに、アマゾンには口座が残っており、ほそぼそと手売りをしています。最近では、アマゾンで複数の業者が私の書籍を古本として売っているのを目にすることがあります。本の評価がそれなりに得られているものと理解しています。
なお昨年(2015年)、この書籍を分冊化して電子書籍としてアマゾンで出版しました。第三分冊(全体では6~7分冊予定)まで出版しました。しかし、表紙(カバー)が物足りないので、現在は作業を一時中断しています。
参考:『細見谷渓畔林と十方山林道(第一分冊)廿日市市の宝』(アマゾン Kindle、2015/05/16)など
『サリドマイド事件』 アマゾン Kindle版
それにしても、著者にとって出版社の倒産ほど悔しいものはありません。といって、もう一度紙の本を出版するほどの余裕もありません。そうした中で、電子書籍出版(特に、アマゾン Kindle ダイレクト・パブリッシング)に関する話題が最近目につくようになってきました。
これだというので、早速自分のWeb上でまとめていた『サリドマイド事件』をアマゾンで出版することにしました。ある電子書籍出版代行業者に問い合わせたところ、「完成したファイルを著者に渡すことはない」という返事でした。これでは改訂のたびに費用がかかってしまいます。
それなら自分で作ってみよう(EPUB形式)というので、何とか工夫してアマゾンで電子出版したのが、『サリドマイド事件: 世界最大の薬害 日本の場合はどうだったのか』(2015/03/21)です。ただし、同書は電子書籍としてはボリュームがありすぎたので、その後、文章を練り直しながら第一分冊から第五分冊まで分割で次々と出版しました。(予定では、全部で合計8~10分冊くらい)
しかし、表紙(カバー)が何と言っても様にならない。Windows付属のペイントで自作するのだからどうしようもない。アマゾンの著者コーナーに並んだのを見ると何ともさえない感じなのです。そこで、分冊を作り続けることは一時やめることにしました。(それまでに出版した分冊は、全て購入不可にしています)
『塩野義製薬MR生活42年』 アマゾン Kindle版
話は変わりますが、私は団塊の世代に属しています(一期生です)。
1948年1月(昭和23)、私は広島県三原市(備後国)で生まれました。同県尾道市内の小学校入学直後、広域合併前の広島市郊外(安芸国)に移り住み、高校卒業までを過ごしました。
1970年3月(昭和45)、私は徳島大学薬学部を卒業して薬剤師免許を取得しました。そして、大学卒業後直ちに塩野義製薬株式会社(本社:大阪・道修町)に入社して、MR(医薬情報担当者)の身分のまま60歳定年を迎えました。さらに、定年延長後も同一職場で現役のMRとして過ごし、再雇用満期4年(満64歳)で退職しました。
その間、新潟大学病院や東海大学病院(いずれも科別担当)、川崎市立川崎病院・山梨県立中央病院・広島市立安佐市民病院及び同市立安芸市民病院をはじめとする一般病院あるいは精神科病院、さらに開業医まで幅広く担当しました。また、中四国9県のDI(drug information)担当(広島在籍)として、13拠点全てを訪問していた時期があります。その当時は計数管理にも携わっていました。
64歳で塩野義製薬(株)を退職後、すぐに保険薬局グループに正社員として入社(2012年2月)しました。2016年1月現在、保険薬局の薬剤師として丸4年が経過しようとしています。現場で日々患者様に接する中で、実際臨床の場での薬に対する考え方が深まってきたように思います。
そうした中で、電子書籍『塩野義製薬MR生活42年:ある医薬情報担当者の半生』(2015/04/19)をアマゾンで出版しました。メーカー時代の出来事を保険薬局の薬剤師の目を通してまとめたものということができるでしょう。メーカーだけで終わることなく、保険薬局の薬剤師を経験してほんとうに良かったと思っています。
エストリビューターのプロになった暁には、プロのデザイナーさんに表紙(カバー)をお願いして、改訂版を出版するつもりです。(2016年4月、改訂版(第ニ版)をプロとして発行しました。ただし、表紙(カバー)はプロのデザイナーさんにお願いしました。なお、書籍コードは変えていません)
『広島湾岸トレイル』 中四国初のロングトレイル
陸上競技、ワンダーフォーゲル、そしてディンギー・ヨット
私は、中学・高校では陸上競技部に所属しました。主にトラック中距離(中学400m、高校800m)を走り、駅伝にも出場しました。中学3年で中国少年駅伝(呉~広島間)、高校2年で中国駅伝(福山~広島間)に出場しました。中国駅伝では、区間こそ違え君原健二さん(八幡製鉄所属、メキシコ五輪男子マラソン銀メダリスト)と一緒の駅伝を走ったことになります。
学生時代4年間を私は徳島で過ごしました。ワンダーフォーゲル部に所属して、夏場には3年連続(1年生~3年生)で北アルプスに遠征しました。
社会人になって、いわゆる関東甲信越地方(ただし信州を除く、新潟、東京・神奈川そして山梨)で38歳まで過ごしました。その間、江の島(神奈川県)でディンギー・ヨットに夢中になった時期があります。しかし、山登りをすることはほとんどありませんでした。
西中国山地の思い出
私がWeb「Akimasa Net」を公開したのは、1999年(平成11)のことです。その翌年の2000年夏、私は満52歳で山歩きを再開しました。38歳の時に一旦広島に帰ってきてから随分年月がたっていました。
山登り再開の翌年2001年11月には、初めて西中国山地の吉和冠山、十方山そして恐羅漢山に3週連続で登りました。さらに、その翌年2002年8月、初めて十方山林道(この時は、細見谷渓畔林の手前まで)に足を踏み入れました。
そこから「細見谷渓畔林と十方山林道」との関わりが始まり、初めての著作『細見谷渓畔林と十方山林道』につながりました。山行再開から書籍出版に至るまで、インターネット(Web公開、電子メール設定)の果たした役割は非常に大きいものがあります。
広島湾岸トレイル
西中国山地に入るのが体力的に少しきつくなってきたころ、私は、宮島海岸を一周する既設歩道の修理・清掃活動ボランティアに参加するようになりました。しかしそれも、宮島の尾根筋に活動拠点が移ると、やはり体力的に少し不安を感じるようになってきました。
2015年(平成27)春になって、私は広島湾岸トレイル構想というもの知り、活動に加わるようになりました。
ロングトレイルとは、長い距離を自分のペースで楽しみながら歩くスポーツと言えるでしょうか。従来、外国で盛んなスポーツであり、最近では日本国内でも盛り上がりをみせているようです。
広島湾岸トレイル(HWT)は、広島市街地を中心として、本土側では太田川水系を取り囲むように作られた里山の踏み跡であり、その長さは約130kmにも及んでいます。そして現在、ルート確定作業が続けられている呉~江田島~似島~広島港間、五日市~宮島~似島~広島港間の諸島部を含めると、全周約250kmにもなる中四国地方初のロングトレイルが完成します。
この広島湾岸トレイル(HWT)の整備は、日本山岳会広島支部内に立ち上げられた「ロングトレイル研究会」を中心として進められています。私がこの試みに個人として参加できているのも、電子メールのやり取りを通じた山友達の存在や、「Akimasa Net」を見ていただきながら、お名前も存じあげなかった方など様々な出会いがきっかけとなっています。
私は、Web内に「広島湾岸トレイルを歩こう」(Google検索:広島湾岸トレイル)のコーナーを設けています。広島湾岸トレイル構想が大いに盛り上がり、正式オープンの日を迎えて、さらにその後のメンテナンスに至るまで、できる範囲で協力したいと考えています。(ただしこのコーナーは、あくまでも個人的に運営しているものです)
広島湾岸トレイル(HWT)では、現在、既にルートの確定したコースを実際に皆で歩いてみるという体験登山が実施されています。全コースを14回に分割して順番に歩いています。
この体験登山は、昨年(2015年)9月~12月までで、全14回のうち11回が終了しました。私は、各回体験登山が終わるごとにそれぞれの山行記をまとめて公開しています。土地勘のない人たちにも楽しんでもらえるにはどんなデータが必要だろうか。1回ごとに工夫しながらまとめています。おおむね好評のようで、それなりのアクセス数があります。
この体験登山に、NHKの取材が入ったことがあります。カメラを回して随所でインタビューがありました。それとは別に後日2回の取材があったようで、それらをまとめて、報道番組「お好みワイド」(2015年11月10日(火)18:10~19:00)の中で紹介されました。
私も最後に数秒間写っておりびっくりしました。
以上です。
公開日時: 2016年1月2日 @ 17:51